(5)減る浅瀬、苦しむスナメリ
ずんぐり頭に愛嬌(あいきょう)のある顔。漁師たちが「ボウズ」と呼ぶ体長2メートル足らずの小型鯨類スナメリ。東京湾沿岸で最近、その姿が目撃される例が相次いでいる。
昨年5月、千葉県船橋市の「ふなばし三番瀬海浜公園」。開場前の潮干狩り場で、職員が見つけたのは体長80センチ、体重8キロの赤ちゃんの死体だった。波打ち際から10メートルほどの干潟。へその緒があり、体には母親の胎内で丸まっていた時にできる「しわ」がはっきり残っていた。
死体を運びながら、山崎仁さん(40)は「赤ちゃんばかりがどうして……」と思った。その2年前にも座礁した赤ちゃんが見つかっていたからだ。
東京湾では、昨年5月にも横浜市の船舶修理工場近くに迷い込んだ赤ちゃんが見つかった。八景島シーパラダイスに保護されたが、19日後に死んでしまった。11月には千葉県水産総合研究センターの調査船が浦安沖で泳いでいる2頭に遭遇している。
環境省の調査(2000年)によると、スナメリの生息数は全国で推定1万8000頭。最近は大阪湾の関西空港周辺海域でも目撃例が増えているが、全体の生息数は減少傾向だ。日本哺乳類(ほにゅうるい)学会はイリオモテヤマネコやアマミノクロウサギなどと並ぶ「絶滅危惧(きぐ)種」に指定。環境省調査で、瀬戸内海や長崎県の大村湾は「危機的状況」とされた。
東京湾はどうか。生息数に関するデータはないものの、東京海洋大学魚類学研究室の谷田部明子さんによると、1990年代に途絶えていた目撃例が2001年以降、目立つようになった。昨年まで15例が確認されている。国立科学博物館の山田格室長は「外海からの迷い込みとは思えない。赤ちゃんが見つかっており、家族が定着していると考える方が自然だ」と指摘する。
海洋生態系の頂点に立つ鯨類は、海の健全度を測るバロメーターだ。だが、東京湾は“江戸前”のスナメリにとって住みやすいとは言いがたい。スナメリが好む浅場が残っておらず、エサの魚介類も少ないからだ。
水産総合研究センターの赤松友成主任研究員によると、頻繁に行き交う船舶のスクリュー音も、超音波を使って位置を確認しながら泳ぐスナメリには障害。全国各地で座礁したスナメリの体内からは有害なポリ塩化ビフェニール(PCB)も高濃度で検出されている。
赤松さんは「東京湾に定着しているとしても、生きるには大変な環境。目撃例が増えたからといって、生息数が増加しているとは言えない」と警告する。
東京湾の埋め立ては江戸時代に始まるが、一気に進んだのは高度成長期以降。東京大学海洋研究所の野村英明研究員によると、80年代までの60年間で水深5メートル未満の浅場の8割が消滅、海面は25%狭くなった。遠浅な海岸線の多くが失われ、コンクリートの垂直護岸になったため、平均水深も3メートル以上深くなった。
「埋め立て前には、この辺りにもスナメリがうじゃうじゃいたもんだ」。旅客機が頭上をかすめる羽田沖に浮かんだ小舟で、戦前から漁を続ける亀石弥一さん(77)はつぶやいた。右に京浜工業地帯、左には第4滑走路建設の埋め立て工事が着工間近の空港。間に挟まれた海は“水路”のように細い。
「真っ黒だった水もだいぶきれいになった。海ってヤツは案外しぶといもんだよ。せっかく良くなってきたんだから、これ以上痛めつけちゃだめだ」
亀石さんは、ザルに入った小エビを両手ですくいながら、かみしめるように言った。(科学部・佐藤淳)
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