日本の気候に負けるな
「3度のメシより風車が好きなのかも」と話す松浪さん(長崎市の三菱重工・長崎造船所で、大野博昭撮影)
沖縄県・宮古島は台風の通り道だ。2003年の台風14号(9月11日)の強風は特にすさまじく、島内に7基あった風車は倒壊などの被害を受け、全滅した。
台風通過後、車で島内を回った城辺町(現宮古島市)職員の古謝勝広さん(33)は、島のシンボルだった風車の姿が消えているのに気付いた。近づくと、高さ約40メートルの沖縄電力の風車(出力500キロ・ワット)が根元から倒壊。隣の1基(同600キロ・ワット)も羽根がはずれ、バラバラに散らばっていた。
「一瞬、何が起こったかわからない。地震の被災地に立っていると思うほどの変わりようでした」
事後調査で、風車立地点の最大瞬間風速はいずれも毎秒87メートルを超え、中でも古謝さんが見た風車は、91メートルに達していた。
これらの風車の設計強度は約70メートル。それを超える自然現象だったのだ。「宮古島被害」は、風力発電関係者に衝撃を与えた。
日本国内に風力発電が普及し始めたのは、1980年代後半。発電用大型風車は、大半が西欧諸国から輸入されていた。宮古島の風車も、デンマーク製が5基、ドイツ製が2基。
これらの国は地形がなだらかで、風向きもほぼ一定だ。風車に関する国際規格も西欧諸国の風況を基に作られており、台風や雷、山岳地形が生み出す不規則な風など、日本固有の気象条件は想定されていなかった。このため日本国内に持ち込まれた風車には、落雷による風車の破壊、強風による羽根の損傷などのトラブルが相次いだ。
遅れて風車市場に参入した国産メーカーは、開発の焦点を「日本適応型」の開発に当てた。三菱重工・長崎造船所(長崎市)主席技師の松浪雄二さん(51)は、80年から、風車開発に取り組んでいる。
社内に作られた初めての風車開発チームに参画し、使い古したヘリコプターの羽根を使って実験を始めた。設計から現地の据え付け、修理まで、風車開発の最前線に立ち、国内外で回っている三菱製風車約2000基のうち、4分の3の風車に携わってきた。
99年9月、鹿児島県笠沙町(現南さつま市)、野間岬の風車が、台風18号の被害を受けた。
5基のうち、出力300キロ・ワットの1基だけが、柱の途中からポキンと折れ、羽根も四散していた。その地点だけに吹く、不規則な風が原因だった。
「壊れた部品たちが発する“言葉”を懸命に聞き取った」松浪さんたちは、秒速80メートルだった耐風設計を90メートルに強化するなど、日本の環境に適した開発を重ねてきた。この風車は、その後の台風にも耐えている。
宮古島被害をきっかけに、日本型風車を模索する動きはメーカー以外にも広がった。「土木学会」は04年、日本固有の暴風や地震に耐える風車の設計について、小委員会での検討を始めた。新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)は昨年から、台風、風の乱れ、落雷に対処するための技術基準「日本型風力発電ガイドライン」の策定を進めている。
風車に適した場所を選定するための風況予測技術も進んでいる。日本気象協会などが開発した風況調査システムでは、10メートル四方という高い精度の地域予測が可能だ。
これらの成果は、日本国内への貢献にとどまらない。富士重工・風力発電プロジェクト(宇都宮市)部長で、NEDOのガイドライン策定にも参加する永尾徹さん(58)は「気象条件が日本とよく似た東アジアやオセアニア、南米など、風力発電を進めている地域にも、日本の技術が恩恵をもたらすはずです」と話す。
「日本型風車」の確立は、新たな国際貢献の手がかりになりそうだ。






















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